経ヶ峰山頂の観音像

 経ヶ峰の山頂には観音像があります。私は登頂すると、毎回、お参りをしてお賽銭を入れています。この観音像について、誰が建てて、そしてこのお賽銭をどうしたら良いか…ということがずっと気がかりでした。観音像の裏には草生地区の有志が建立したと刻まれているのですが、どういう経緯で建てられたかはわかりませんでした。仲之郷地区の恩仲寺さんが建立時に開眼供養をされたと聞いて、住職さんに経緯を伺ったのですが、請われて開眼供養をしたけれども詳しい経緯は分からないとのことでした。

 実は、私が安濃町議会議員だった頃、先輩の草生地区選出議員から、経ヶ峰に登ったら観音様のお賽銭を持って来て、安濃町の福祉協議会に寄付してくれ…と頼まれ、議員の間はそのようにしてきました。しかし、それが「正しい」ことなのかわからず、議員を辞めた後、個人的に調べてきました。

 昨日、1946年6月15日発行の「広報あのう」に経緯が載っていることがわかりました。以下、その記述を抜粋して載せます。

「昔経ヶ峯の山腹には一字の寺院があり、戦国の初期織田信長が兵馬を伊勢に進めたとき、その兵火によって焼失しましたが、そのとき難を避けた院主の手により、寺院所蔵の経巻はこの山頂に埋められたと伝えられています。経ヶ峯の名称はここから起こり霊峯といわれる所以でもあります。

 新しい景観のポイントともいうべきこの山頂には、いつのころからともなく一基の経塚が建立されその事績を物語っています。

 この経ヶ峯の山頂に「平和観音像」が五月二十三日に建てられました。経ヶ峯開発観光協会(会長若林経夫氏)が中心となり近辺の篤志者の寄附を集め、工事は地元の平尾区(区長小林佐七郎氏)と真柄組(社長真柄栄三氏)の手によって建てられた「平和観音像」は去る五月二十九日午前十時から恩仲寺住職(川北文彦氏)によって開眼供養がいとなまれました。

 この平和観音像は安濃村の守り本尊として、また経ヶ峯のシンボル、そして、ますますの観光開発の祈願をこめてつくられた。」

 これに先立ち、草生地区の区長会で観音様のお賽銭をどうするかを話し合っていただき、草生天神の賽銭箱に入れてほしいという回答をいただきました。この回答に従って、私、長坂が登頂した折にお賽銭がたまっていれば下ろして、草生天神のお賽銭箱に入れております。